青天を衝け「栄一と伝説の商人」34話

渋沢栄一と岩崎弥太郎は、歴史上、稀に見るほどうまが合わなかったと伝えられている。

同じ農家出身であり、日本を一等国へという経済を押し上げる思想は一緒ではあったが、そのやり方、考え方が正反対だった。

弥太郎は三菱という財閥を築き、今も三菱グループとして大きな力を発揮している。

一方栄一は、自らの財産を貯えるということではなく、多くの人や企業へ投資し、福祉や教育事業にも力をいれていった。

渋沢財閥というものはないものの、500の企業と関わり、更に600もの教育・福祉団体に貢献した。

栄一は、東京商工会議所を設立し企業同士の合本を唱え、また五代友厚も続いて大阪商工会議所を設立し、今もその活動は引き継がれている。

 

論語と算盤。道徳と経済の両立をどのように両立させていくのか。

今の私達にとっても、再度考える必要がある。

 

【あらすじ】

栄一(吉沢 亮)は、伊藤博文(山崎育三郎)の依頼で、商人たちが業種を超えて手を組むための組織、東京商法会議所を作る。

一方、はじめて養育院を訪れた千代(橋本 愛)は、身寄りのない子供たちの寂しげな姿に心を打たれ、世話をしたいという思いを強くする。

そんな中、栄一は岩崎弥太郎(中村芝翫)から宴席に誘われる。

栄一と弥太郎は、商業で国を豊かにしようと意気投合するが、その手法を巡って激論、意見は真っ向から対立し、会合は物別れに終わる。

 

【徳川家康の語り】

さて、ようやく武士は消えたが、栄一の目指す一等国にはほど遠い。

覚えているだろうか?徳川家定のころに結んだ安政の五カ国条約を。

(イギリス・フランス・アメリカ・オランダ・ロシア)

日本は明治の世から20年も前に結んだこの不平等な条約がネックになっていました。

さて、新しい世のもの達はどうするのかな?

 

【ドラマを観て思うこと】

のちに初代内閣総理大臣となる伊藤博文。

伊藤は、欧米には“Chamber of commerce”という商人の集まりがあり、そこでの意見が民の声とされており、日本政府も文明国への第一歩として民の声=“世論”を集めたいという考えを、栄一らに伝え、民の代表として、商人の会議所の設立を依頼する。

栄一は、東京商法会議所を設立。(ちなみに五代友厚は大阪商法会議所を設立。東の渋沢・西の五代といわれる所以である。)

さらに栄一は、一等国を目指し、外国に負けない商売をするためにも、力のある弥太郎と組みたかった。

そんなおり、岩崎弥太郎から豪勢な宴席に招かれ、これからの日本の話をするが、根本的な考え方の違いを感じ、言い争った末に席を立ってしまう。

「おまはんはやたら合本合本と言うけんど……わしが思うに、合本法やと商いは成立せんがではないか。

強い人物が上に立ち、その意見で人々を動かしてこそ、正しい商いができる。(岩崎弥太郎)」

「いいえ。無論、合本です。多くの民から金を集めて大きな流れを作り、得た利でまた多くの民に返し、多くを潤す。

日本でもこの制度を大いに広めねばなりません。(栄一)」

「事業が一人の経済の才覚ある人物が己の考えだけで動かしていくかが最善や。(岩崎弥太郎)」

「いいや。その人物一人が商いのやり方や利益を独り占めするようなことがあってはならねぇ。

私とあなたは、考えが根本から違う。帰らせていただく。(栄一)」

日本を経済大国にするだけでいいのか、それとも論語の精神を重んじてより民に寄り添った合本でいくべきなのか。

日本の歴史から垣間見れることだ。あなたはどう思うだろうか?

近代史もこのような流れからの目線で考察していくと面白い。

 

母の教えも実行すべく、養育院への投資もした栄一。

養育院の様子を千代に話すと「連れて行ってほしい」と言われ、夫婦で養育院を訪れる。

子どもたちと触れ合う千代の様子を見て、栄一は毎月ともに養育院を訪れることを決めるのだった。

そこには、遠慮をする子供たちが多く、子供らしさのない、親の愛情を受けられなかった子たちがいた。

栄一と千代は毎月、ともにここの子たちの顔を見に来て、本当の親にはなれなくても、決まって顔を合わせ、親しむようになれば何かは変えられるはずだと考えるのだった。

千代自身も、夫につくすという考えはそのままあっても、更に自分から一個人として何かしていこうという志が見えてきたように思った。

 

アメリカ前大統領・グラント将軍が来日することになり、政府だけでなく、栄一たちも“民”を代表してグラント将軍をもてなしてほしいと、伊藤博文から頼まれ、日本が一等国に認められる好機、また二十年来の不平等条約改正の糸口を見つける千載一遇の好機かもしれないとやる気をもって対応する。

欧米では、国の賓客を迎えるとき、王室や政府のほかに、その土地の市民の歓迎があるという。

外国にならって民からのもてなしもすることになった。官と民がひとつになってもてなす、これも合本だ!

そして、一等国では男性と女性が表と奥で分かれることはなく、公の場に夫人を同伴するのは当ったり前だ。

いよいよ、千代やご婦人たちの本領発揮だ。

富岡製糸場の工女といい、今回といい、女性の活躍の場が少しづつ広がり始めていった。

 

 

【ゆかりの地の紹介】

栄一は商人たちの話し合う場として東京商法会議所を設立。初代会頭を務めた。

名前と場所を変えながら発展し続け、今では日本の商業界に欠かせない存在となっている。

現在の東京商工会議所
(平成30年~現在)

 

東京都千代田区。ビルの中に設けられたミュージアムには、栄一ゆかりの資料が展示されている。

役員エリアには勤勉に働くことの大切さを記した書が掲げられ、栄一の精神が引き継がれている。

大阪府大阪市。同じころ、五代友厚が大阪商法会議所を設立。

現在の大阪商工会議所

 

当時の五代は御霊(ごりょう)神社の近くに住み、足しげくこの地を訪れていた。

五代が創建した商工稲荷神社は、今もこの地で大阪の商工業の発展を見守ってる。

「東の渋沢、西の五代」。二人の情熱が日本の経済を大きく羽ばたかせた。

五代友厚像・渋沢栄一像

 

アクセス

東京商工会議所:東京メトロ「日比谷」駅下車すぐ

大坂商工会議所:Osaka Metoro「堺筋本町」下車徒歩7分