渋沢栄一と偉人たち【徳川昭武】2『留学生昭武』 

イラストは、漫画家もんでんあきこさんが描写された。

あまりにも民部公子が美しく、イラストにせずにはいられなかったとのこと。

「徳川昭武」(とくがわあきたけ)は、水戸藩(現在の茨城県)9代藩主「徳川斉昭」(とくがわなりあき)の十八男で、江戸幕府最後の将軍「徳川慶喜」の弟だ。

側室の子であった為、慶喜の異母兄弟にあたり、幼名は松平昭徳(あきのり)。

子息に水戸学を学ばせたい斉昭の方針で、昭武は生後まもなく水戸にて養育を受けることに。

ここでいう水戸学とは幕末、水戸藩を中心に広まった尊王攘夷論である。

しかし、幕末の機運もあってそうも言っておらず、1863年には江戸、京都に居を移し、幕臣として働くことになったのだった。

長州藩が京都を襲撃した「禁門の変」や水戸藩攘夷派による「天狗党の乱」では、わずか12歳で軍を率いて戦った。

幼少より、武芸に秀でた兄慶喜に劣らず勇猛だったことだろう。

 

1867年、第15代の将軍となった徳川慶喜(兄)の名代としてパリ万博覧会へ出向くことになり、随行した栄一と絆を結んだ。

渡仏時は、まだ若干14歳。

倒幕を企てる薩摩藩がイギリスを味方につけ、軍事力を益々つけていったこの時期に、幕府はそれに対抗すべくフランスを味方につけようということで遣欧使節を送ったのだった。

当時の徳川昭武

 

この時渋沢栄一は27歳だった。

徳川慶喜直々のお声がかかり、「渋沢栄一を派遣するのが良い。渋沢栄一ならば思慮があり、臨機応変の対応が取れる。学問の心得もあり、人間性もしっかりしている。それに前途有望な人物だから、渋沢栄一自身が海外を知ることも大事だ。」と語り、渋沢栄一を推挙したのだった。

 

なんとも品格の漂うプリンス昭武。ご本人もさることながら、民部公子役の板垣李光人さんも品があり、美しかった。

その品格から異文化もお洒落にはまっていた。

 

パリの万国博覧会では、日本は欧州諸国から、一気に注目を集めたという。

今も残る日本の伝統商品、和紙・絹製品・漆器類だ。出展物では最高評価のグランプリを獲得し、以降ヨーロッパでは日本趣味を意味する「ジャポニズム」が流行。

その後、大政奉還によって幕府が政権を手放すことになり、日本政府の要人でなくなってしまった昭武は、フランス政府から見て微妙な立ち位置になってしまう。

 

帰国を余儀なくされたのだが、1866年(慶応2年)に、「徳川御三卿」のひとつである「清水徳川家」の当主となり、のちに第11代水戸藩最後の藩主となった。

して明治維新後の1869年、昭武は版籍奉還により水戸藩知事と官職を変える。

戊辰戦争の際、前藩主・慶篤が勅命に従い班藍の佐幕派を討伐していたこともあり、水戸徳川家は朝敵にならずに済み、昭武にも無事に新政府での職が回ってきたのだった。

 

また、同年には北海道開拓も始まっており、政府は諸家に対し、北海道統治の委託を募ってた。

ここで昭武が名乗りを挙げ、利尻やと苫前(とままえ)を始め、その周辺の北部5郡を任されることに。

1871年、廃藩置県までの短期間、17歳にしてかなり精力的に新政府に貢献していたのだ。

 

その後、知事を免職されると陸軍に入り、教官を務めた。

このころは主にフランス軍事顧問団が陸軍の指導にあたっていたため、フランス語を習得していた昭武が教官として重宝されたのだろう。

 

留学でのお洒落

 

①パリ万博⇒欧州歴訪⇒パリ留学

幕府代表としてスイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスなど欧州各国を歴訪。

その間、オランダ王ウィレム3世、ベルギー王レオポルド2世、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、イギリス女王ヴィクトリアに謁見した。以後、パリで留学生活を送った。

この頃のことを昭武は、「徳川昭武幕末滞欧日記」に記している。

当時の皇帝ナポレオン3世の皇子から貰った愛犬リヨン

 

②日本人ではじめてココアを飲んだ人

昭武の留学中の日記の中に、1868年8月3日(旧暦)の出来事として「朝8時、ココアを喫んだ後、海軍工廠を訪ねる」と記しており、これが日本人が初めてココアを飲んだ最古の史料記録となっている。

 

③アメリカ⇒明治期のフランス再留学⇒欧州旅行⇒ロンドンへ

明治9年(1876年)にフィラデルフィア万国博覧会の御用掛となり訪米する。

その後、兄弟の土屋挙直・松平喜徳とともいフランスに向かい、再び留学する。

前回の留学から8年の間にフランスは第二帝政から第三共和政に移行してる。

明治13年(1880年)に留学中の甥・徳川篤敬(長兄・篤敬の長男)と欧州旅行(ドイツ・オーストリア・スイス・イタリア・ベルギー)の後、ロンドンへ半年滞在し、翌14年6月帰国した。

 

海外への留学や各国の王族との謁見など国際人としての経験を培った人物で、ココアを飲む姿はとてもエレガントだっただろう。

 

若きプリンスは、語られることも少ないが、ヨーロッパ留学を通じて日本にもたらした影響は計り知れない。渋沢栄一の功績も、昭武なくして成し得なかったことであろう。

栄一の功績が昭武の偉大さを代弁しているのかもしれない。

 

 

 

 

 

渋沢栄一と偉人たち【徳川昭武】1