ジャパニーズスウィーツ「あんこ」はいつ頃出来たのか?

あなたは、和菓子派?洋菓子派?

甘い物には目がない人はたくさんいると思うが、その昔、甘い物は特別なものだとされていた。

和菓子と言えば甘いあんこを連想し、洋菓子といえばバターにミルク、卵の甘いケーキをイメージするだろう。

ダイエット中だったりすると、洋菓子が食べたくなるのを我慢して脂質の少ない和菓子にする、なんて人もいるのかもしれない。

今やデザートには欠かせないスウィーツだが、日本古来からある「あんこ」は一体どのようにして作られたものなのか?

 

【あんこは甘くなかった?】

 

■弥生時代

弥生時代、日本では無病息災や魔除けを祈願する行事に小豆を使った料理が食べられていた。

小豆はアジア熱帯地方原産で、弥生時代に稲作ととともに伝わったとされる。

中国では、古くから小豆の皮の赤い色を「陽」と捉え、災いなどの「陰」を封じると信じられており、それが日本でも無病息災や魔除けを祈願する年中行事に赤飯やおはぎなど、小豆を使った料理が供されるようになった。

 

■大和時代

あんこは日本由来のものだと思っていたが、今から約1400年前、大和時代に遣隋使が中国大陸の文化を伝えた。そして遣唐使により「団喜(だんき)」という肉団子が伝わり、日本では僧侶が肉は食べられなかった(精進料理)ので、代わりに小豆のあんを使ったことがきっかけだったという。

当時の「あん」は、米や小麦などで作った食物の中に詰める一切の具材を総称するものだった。

今も肉まんや餃子などの中身を「あん」と呼んでいるのは、ここからきているのだ。

中国の唐(618~907年)の栄えた時代は、日本では飛鳥・奈良・平安時代の話になる。遣唐使は、日本の九州に到着。

余談ではあるが福岡などには地名「唐津」や食文化として「唐揚げ」などがあるが、唐から深く影響を受けたのかもしれない。

この頃、空海(弘法大師)が804年に遣唐使として20年の任期で赴任したのだが、わずか2年で戻ってきたそうだ。

その当時、福岡の大宰府で足止めを食らいながら故郷の讃岐に帰ってきて、小麦を練ってゆでた唐餓菓子を持ち帰ったそう。

その中にも「あん」が入っていたという。

 

【甘いあんこの登場】

 

■平安時代

甘くして食べるようになったのは日本に伝わってきてからのこと。

平安時代には味付けをしていない練り汁や、塩で調味した塩小豆を食べていたのだが、やがてツタの樹液をを煮詰めて作る甘味料「甘葛(あまづら)」で味付けするようになり、室町時代には砂糖で甘みをつけ、今のような姿になったという。

 

■鎌倉時代

あんこが入ったおまんじゅうが親しまれ始めたのは、鎌倉時代。

鎌倉時代末期、当時の書物に「焼き餅は小豆の中に込め、しるこ餅は小豆を上につける」と記されているという。

福岡の大宰府の名物「梅ケ枝餅(うめがえもち)」は薄い餅生地で小豆あんを包み、鉄板で焼いている。

当時は、これが主流だったのであろう。

 

■室町時代

室町時代の中期には、輸入された砂糖を生地に加えたまんじゅうや、塩小豆の「あん」に代わって砂糖を用いた小豆あんのまんじゅうが登場。

今の「甘いあん」の原型はここで出来上がった。

当時はお茶と共にいただくお菓子として出されていたようだ。

その後、おまんじゅうに含まれていたあんこは「羊羹」や「最中」の一部にもなり、和菓子にとってあんこは重要な存在になっていった。

鎌倉時代後期から安土桃山時代にかけて「点心」が渡来し、お茶を飲むという風習が暮らしに溶け込むのと時を同じくして南蛮貿易が盛んになり、「かすていら」や「金平糖」も渡来した。

これら南蛮菓子に刺激されて、日本の製餡技術と和菓子も急速な発展を遂げていった。

 

■江戸時代

甘いあんこが庶民の口に入るようになったのは、江戸時代。

砂糖が国内でも生産され流通したため、現在と同じような砂糖を用いた「あん」が広がったという。

戦国の世から、次第に徳川将軍によって安寧な時代が長く続いたことで、商売など庶民の動きも活気づいていったことから食文化も次第に発展していったのだろう。

江戸時代には「今製練羊羹、赤小豆一升を煮て、あくを取り去ること三四回、其後皮を去り、漉粉となし、唐雪砂糖七百目、是も煮てあくを去り、乾(寒)天二本半を煮て之を漉す。煮詰めて製すを練羊羹と云ふ(守貞漫稿後集巻一)」と記録されるほどに一般的な菓子となっていった。

江戸で発生したや脚気があんを食べて改善していったというドラマがあったが、小豆のビタミンB1を取る事でよくなったといわれている。食べ物はやはり大事なんだとつくづく思う。

次第に今の和菓子が作られていったのも、江戸時代だったといわれている。

 

■明治時代

明治時代には、菓子の種類や菓子店の数も増え、いろいろなものがつくられ始めてきた。

あんこは小豆を含め、白いんげん豆、黒豆、緑豆など豆を使って煮含め、砂糖などで甘くしたものををいうが、「こしあん」や「粒あん」といった、あんでも製法によって食感も違ってくる。

「こしあん」⇒小豆の皮を取り除き、茹でてさらしてから練り上げで作る。別名「さらしあん」ともいう。

「粒あん」⇒小豆の皮を取り除かずに練り上げる「あんこ」で、時間をかけて寝ると粒があまり残らず「つぶしあん」とも呼ばれるようになる。

因みに「小倉あん」は、小豆やいんげん豆などを煮て密漬けしたものをこしあんに加え、粒の食感を活かしたものだそうだ。

また、水分量や煮含めの時間などそれぞれ食べ方によって変わる奥深いものだ。

 

■昭和時代

昭和時代には、機械化も進み、製あんの技術も高くなっていった。

 

何気なく美味しいい美味しいと食べていた和菓子、あんこ。

最初は甘くないものだったが、やはり日本人はあるものを色々改良して作り上げる能力はすごぶる高いのだと改めて思う。

 

 

 

渋沢eiシリーズ【渋沢百訓まんじゅう】